"神の右手"生んだ覚悟の直訴。最強侍にも継承「2006年の学び」とは…辻発彦のWBC秘話

グノシー

2023-03-20
取材・撮影=塩畑大輔(Gunosy編集部)
※辻発彦の「辻」は一点しんにょう

2006年のWBC第1回大会で、日本は接戦を勝ち抜き世界一になりました。神がかっていた選手起用の裏にあったものとは…?当時のコーチ、辻発彦さんが明かします。
 

 
ちぎれんばかりに、右腕を振り回した。

WBC第1回大会決勝、9回表2死一、二塁。
1点差に迫るキューバを突き放す好機で、打席のイチローが一、二塁間を破った。

打球は鋭く、速かった。
しかも、相手の右翼手は肩が強い。二塁走者を本塁に突っ込ませるには、微妙なタイミングだった。
時事通信フォト
だが、三塁ベースコーチとして走者に指示を送る辻発彦は、迷わず「ゴー」の合図を出した。

走者・川崎宗則にはスピードと走塁の技術がある。
加えて辻が王監督に「交代させないほうがいい」と直訴した選手でもあった。

そんな彼が、勝負を分ける大事な場面で二塁にいる。
運命めいたものも感じていた。

打球を背にする走者を、迷わせてはいけない。
ためらう様子を一切見せず、一心不乱に腕を回す。いけ!いくしかないんだ!全身で伝える。
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風のように、目の前を川崎がよぎっていく。
同時に、ライトから矢のような送球が放たれる。

続く一塁走者を三塁に呼び込みながら、辻は横目で本塁を見ていた。
ベース上でグシャリと、走者と捕手が交錯した。

 
伝説のプレーのエッセンスを代表に

「ああいう場面では、あらかじめ腹をくくっておかないと、腕は回せないですよ」

第1回WBCで日本代表の守備・走塁コーチを務めた辻は、そう言って振り返る。
現役時代の1987年日本シリーズ巨人戦で「伝説の走塁」を成し遂げたことでも知られている。
 

【伝説の走塁】

1987年11月1日、日本シリーズ第6戦で起きたプレー。8回裏2死一塁の場面で、秋山幸二が中前安打。この間に、一塁走者の辻が二塁だけでなく三塁も回り、一気に生還した。巨人の中堅手クロマティの返球時のクセなどをすべて把握した上での走塁。西武は直後の巨人の攻撃を抑え、2年連続の日本一に輝いた。

 
相手のわずかなスキをついて、ひとつでも先の塁へ。
現役時代の経験は、指導者としても生かされている。

伝説の走塁に苦杯をなめた当時の巨人の監督は、王貞治さんだった。
20年近い時を経て、WBC日本代表の三塁ベースコーチとして、辻を招聘するに至った。

 
身内も驚く、勝負どころの一手

「王さんの采配はすごかったですよね」

辻はしみじみと言う。
印象深かったのは、準決勝・韓国戦での選手起用だ。

1次リーグ、2次リーグと続けて敗れた因縁の相手。
3回目の対戦も死闘になった。スコアレスのまま、試合は終盤へ。

韓国戦で力投する先発・上原浩治(AFP=時事)

「いよいよ、1点の勝負になる」

辻は三塁ベースコーチの位置で、覚悟を固めていた。
チャンスは二度はこないと思ったほうがいい。絶対に迷ってはいけない。

「会場の熱気が異様なほどで、それも重圧になりました。カリフォルニア州は韓国の方がたくさん住まれているんですよね。ほぼ、相手のホームでした」

7回。先頭の松中信彦が右翼線に鋭い当たりを放った。
気迫のヘッドスライディングで、一気に二塁へ。ベースをたたいてガッツポーズする姿に、ベンチの選手も辻も奮い立った。

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確実に三塁に進めたい。
辻が送るサインを受けて、多村仁は送りバントを試みた。だが決めきれず、三振に終わってしまう。

一転、嫌な流れになったと感じた。
ここで点が取れなければ、相手を勢いづかせてしまう。

そう思った辻の視線の先で、王監督がベンチから歩み出た。
その後方に続いて出た打者の姿に、辻は驚いた。

代打に送られたのは、この大会で大不振に陥っていた福留孝介だった。

 
不振のスラッガー、監督の期待に…

「マジか、と思いました。まったく予想もつかなかった」

辻は述懐する。
2次ラウンド最終戦の韓国戦で3番に入った福留だったが、2打席連続三振。代打を送られ、退いていた。

大会通算でも19打数2安打。打率にして1割5厘。
主力を固定してきた王監督も、準決勝を前にしてついに福留を先発から外す決断をした。

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辻は王監督が一度、福留に代表入りを断られていたことを知っていた。
それでもなお、打診を重ね、チーム合流を決意させていた。

そして、おそらく優勝できるかどうかの最大の岐路で、打席を任せた。
失敗に終われば、批判は避けられない一手。王さんもまた、腹をくくっているのだろう。鳥肌が立った。

自分も覚悟をせねば。
打球の方向やスピードから、瞬時に判断できるよう、食い入るように打席に見入る。さあこい。

快音が響いた。

瞬間、辻には分かった。
右手を回すまでもない。打球は逆風を突いて、右翼席中段に突き刺さった。

 
相次ぐミス。指揮官のつぶやき

「あの映像は今見ても鳥肌が立ちます」

福留本人はもちろん、あの決断をした指揮官に対しても、畏敬の念を覚える。

そんな王監督に対して、辻も覚悟を決めて進言をした場面があった。

決勝戦。相手はキューバ。
序盤から得点を重ね、5回を終わった時点で6ー1と大きくリードした。

「韓国に勝てば優勝、と思っていました。その通りの試合展開ではありました」

だが、日本はミスからリズムを崩す。

6回裏1死の場面で、ショート川崎が正面の弱いゴロを捕球しそこねた。
そこから3連打を許し、スコアは6ー3になった。

さらには続く7回も、川崎のエラーでキューバの先頭打者を出塁させてしまった。
辻は思わず、王監督を見た。静かに、フィールドをにらんでいる。やがて静かな言葉をこちらに向けてきた。

「代えよう」

 
やってきたことへの自負。覚悟の進言

横顔は、怒りをたたえているようにも見えた。

辻は一瞬だけ迷った。
確かに、これ以上凡ミスを繰り返せば、本当に試合の流れが変わってしまう。3点のリードなど、あってないようなものになる。

AFP=時事

ふと、手元のメモに目がいった。

はっと我に帰る。
こういう苦しい場面でも、1つ1つアウトを重ねられるメンバーを、自分たちはそろえてきたのではないか。

辻は王監督に言葉を返した。

「いえ、川崎で行きましょう」

 
再びの落球。拝みあげるようなトス

「彼はいい性格をしていて、チームを盛り上げ、引っ張ってきた存在でした。そして何より、気持ちの強さもあった。だから、変えるべきじゃないと言わせてもらいました」

王監督は聞き入れてくれた。
納得してもらえたかどうかはわからない。だが、そこを確認しているひまはなかった。ピンチは続く。

川崎がちらりと横目でベンチをみてくる。
不安がらせてはいけない。辻は他のコーチ陣よりも一歩前に出た。

努めて普段どおりに。
川崎と目を合わせ、力強くうなずく。

続く打者の打球が、再びショートを襲う。
バウンドを合わせきれない。グラブの手首よりの部分に当たったボールが、グラウンドにこぼれ落ちる。

スタンドから悲鳴が上がる。
だが、川崎はこのボールを、両手で拝みあげるようにして二塁ベースカバーの西岡剛にトス。一塁へと転送もされ、併殺が成立した。

 
すべてはこの場面に…運命の瞬間

なんとか失点を免れた日本だが、キューバの勢いは止まらなかった。
8回にホームランで2点を返され、6ー5と1点差に迫られた。

迎えた9回表の攻撃。

先頭を出した日本だが、続く川崎の送りバントは猛然と前進したサードにうまくさばかれた。
二塁に走者を進められず。傾いた試合の流れは変わらないようにもみえた。

だが、続く西岡が、セカンドの前にプッシュバントを決めた。

相手はどこにも投げられず、オールセーフに。
嫌な状況から一転、リードを広げる大チャンスをつくった。

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西岡は2次ラウンド・アメリカ戦で「世紀の誤審」でアウトにされた。
そして、辻が王監督に直訴し出場させ続けた川崎が、二塁にいる。

すべてはこの場面につながっている。そんな気がした。

打席にはイチロー。外野の守りが深い。
特にライト。さりげなく確認し、腹は決まった。

鋭い打球が一、二塁間を破る。
辻は右腕をちぎれんばかりに回した。目の前を、川崎が風を残して駆け抜けていく。

 
見えた本塁の一角。滑り込ませた右手

「神の右手、ですよね」

遠い目をして当時を思い出しながら、辻はポツリと言う。

「すごい走塁でした。必死だったんでしょうね。セオリーにはないプレー。代償もありましたけど、あれは大きかった」

迷いも、ロスもない走塁。
だが、ライトからも鋭く正確な送球が返ってきた。タイミング的には、アウトにも見えた。

だが、川崎は滑り込みざま、右手を相手捕手のひざの下に潜り込ませた。
ひじのあたりに相手の体重がかかる形でつぶされたが、捕球したミットでタッチされるよりも早くベースに触れた。

判定はセーフ。
貴重な追加点で、試合の流れは一変した。日本はこの回、さらに3点を加えた。

 
サンディエゴに響いた「ニッポン」の声

5点差。最後の守り。
だが、日本は勝ち越しの代償として、守りの要であるショート川崎が右肘に重傷を負った。

しかし、辻は慌てなかった。
王監督もしかりだ。静かにうなずいてみせると、主審に選手の交代を告げた。

川崎に代わって宮本慎也。
当時の日本球界で最高の技術を持つと目されていた守備の名手だ。

普通なら、主力を失ったチームは、落ち着きをなくす。
だがこのときはむしろ、安定感が増したように、辻の目には映った。これなら大丈夫だ。

日本は1点こそ失ったが、落ち着いてアウトを重ねた。
スタンディングオベーションの中、最後の打者を三振で打ち取る。サンディエゴのスタジアムに「ニッポン」のコールが響き渡った。

時事通信フォト

 
優勝への「最後の布石」とは

「いいショートというのは、チームに対する影響力が違うんです」

辻は言う。

「セカンドやサードの守備範囲までカバーする。送球もいいからファーストも落ち着く。内野が安定するから、投手も安心して投げられる」

世界一への最後のピースになった宮本だが、当初は王監督の構想には入っていなかった。

優勝を喜び合う宮本慎也(中央)とイチロー(時事通信フォト)

29人までメンバーが決まったところで、選考が難航した。
そこで辻は王監督から聞かれた。「君なら誰を選ぶ?」

迷わず、宮本を推挙した。

「初めて開催される大会で、選手選考の段階でも重みもよくわからなかったけど、でも優勝がかかるような重要な場面で誰がいたらいいかと考えたら、やっぱり宮本だよなと思っていました」

「大事な場面こそ、みんなが冷静に戦い続ける必要がある。不安をかかえていたら、無駄にメンタルが消耗してしまって、適切な判断はできなくなる。だから、最後はみんなを安心させられる守りの選手がいたほうがいいんです」

 
世界一への戦いから学んだこと

11年後。
埼玉西武ライオンズの監督に就任した辻は、ひとりのルーキーに目をつけた。

細身で非力。社会人野球のトヨタでも9番打者だった。
だが、日本一を目指すならこの選手が柱になるべき。そう確信した。

それが今回の侍ジャパンの主力、源田壮亮だった。

「それが2006年のWBCでの最大の学びです。チームを落ち着けられるいいショートがいるかどうかが、優勝できるかどうかを分けるんだと」

ルーキーの源田を指導する辻監督(2017年3月5日=時事通信フォト)

何があっても使い続ける。絶対に育て上げる。
ルーキーイヤーの開幕戦から299試合連続でフル出場させた。これはプロ野球記録だ。

辻の監督就任後、Bクラスが定位置になっていた球団は復活した。
6年間で2度、パ・リーグを制覇した。FA移籍で毎年のように主力が流出しながら、4度のクライマックスシリーズ進出と常に上位で戦えるチームになった。

「それもやっぱり、源田なんですよ。源田のおかげです」

監督退任時に語っていた言葉を、あらためて繰り返した。

 
侍ジャパンがこれから問われるものとは

今回の侍ジャパンは、史上最強の呼び声も高い。
そのチームで、源田は正ショートを任されている。

辻が育てた選手が、世界制覇へのカギを握る。
17年前のエッセンスが、時をこえて受け継がれている。

「本当は源田が守備固めとして起用できるくらいなら、もっと安心感があるんですけどね」

辻は大会終盤の戦いも見据え、そう語る。

「1次ラウンドで右手の小指を骨折していて、送球に不安があるのか若干守備位置が浅くなっているのも気になります。いずれにしても、守りでチームを安心させられる選手がいるかどうかが、土壇場では大事になる」

時事通信フォト

福留の代打起用。川崎の交代とりやめ。
そして守備固めでの宮本の投入。2006年は王監督ら首脳陣の打つ手が当たりまくった。

今回はどんな一手が、重要な局面で打たれるのか。
そのために、どんな準備がなされているのか。

「チームに対する期待も、それにともなう重圧も、これまでとは比較にならないと思います。ベンチも含めた総力戦で、ぜひ優勝してもらいたいです」

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